土曜更新 日本史 天皇編 今日は聖武天皇。前編は政治史。元正天皇から皇位を譲られた首皇子は聖武天皇となる。聖武天皇の時代、権力者は4人とけっこう変わる

長屋王藤原四子(藤原不比等の4人息子)の影響で自殺に追い込まれる。

藤原四子藤原武智麻呂(南家)、藤原房前(ふささき→北家)、藤原宇合(うまかい→式家)、藤原麻呂(京家)の4兄弟。妹の光明子聖武天皇の皇后に。しかし、天然痘(伝染病)で4子相次ぎ死去。平安時代中期以降は北家が本家となる。(藤原道長、頼通は北家)

橘諸兄(もろえ)…藤原四子の息子たちが若かったため、皇族出身の橘諸兄が実権を握る。遣唐使の経験がある吉備真備(きびのまきび←2番目と4番目に「備」が来ると覚えるとよい )と僧の玄昉を重用。

その後、成長した藤原広嗣(ひろつぐ←宇合の息子)が大宰府で挙兵←鎮圧される。

聖武天皇は情緒不安定になり、都を幾度も変えることに。(平城京→恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京)

藤原仲麻呂藤原武智麻呂の息子。聖武天皇が大仏を作りたいと言った時、橘諸兄らは反対したが、仲麻呂行基の力を借りればできると賛成。聖武天皇光明子、娘の阿倍内親王(後の孝謙天皇)に重用されるようになる。

後編(文化史、土地経済史)に続く。

14:30教室入室。事務作業とエンゲージ(粉河高2生の英文法)の予習。今日はtelなく、誰もこず、一言もしゃべらない沈黙の日だった。明日はお休みです。